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彼は途端に慌てた調子を取り戻した。雰囲気に呑まれていただけの冷静さなど、彼の混乱を癒すものではなかった。発狂を始め、手足をばたつかせながら頭はぐるりぐるりと右回りに振り回す。カウンターにぶつかろうと構う様子はない。ただ狂気の沙汰であった。
主人はそれでも椅子からは立ち上がろうとしない。さも、いつも見ている風景だと、額縁の向こうから眺めるように、酒を呑んだ。ぎしりと革が鳴く。
滑稽な舞を踏む彼。辺りに置かれた灯りさえ、それを遠巻きに見物しているようだった。
「あああああああああ」
「君」
厭きた。主人はため息と共に彼を制した。
「君。静かにしないか。」
「うるさい」
彼はやはり構わず、発狂を続ける。あたかも、断罪を拒絶するように。手足の自由は、あってないに等しくなっていた。
やはり厭きた。たった数分の発狂、それに対する感想は、相応した一言。主人には次第に疎ましくさえ感じられてきた。
「静かにしないか。」
「うるさい!」
「煩いのは君の方だろう。」
すでに興味さえ遠く、視線はただ手元のグラスのさらに小さな氷を見ている。彼はその態度に憤りを感じた。何故、これほどの迷惑を働く人間に対し、目さえ向けないのか。腹立たしくて仕方がなかった。
主人は少しだけ静かになった彼を、少しだけ笑った。からんと氷が落ちる音に負けんばかりに小さく、笑った。
「咎めてほしい、君の目はそう言っているようだね。」
彼は静止した。ただ純粋に静止した。騒がしい空気もまた静止した。彼はどうやら、図星を指されたらしかった。
主人は彼の様子に気を良くし、静かにグラスをコースターへ置いた。金か銀かで装飾されたそれも、所詮は脇役と存在感を薄め、氷がまた鳴った。
「さて。依頼を聞こうか。」
彼は観念したようだった。
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