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古来チベットと中国は緊密な関係にあり、チベットの統治者は、魔除け効果があると信じられていた小型犬ラサ・アプソを中国の皇帝皇族に献上する習慣があった。
唐、宋の時代にも献上の記録があり、1645年の清国のチベット侵攻の際にもラサ・アプソが中国に渡った。
当時の中国宮廷ではさらに古くから伝わっていたペキニーズが飼育されており、チベット由来のラサ・アプソが、中国在来のペキニーズと混血したものがシーズーであると言われている。
シーズーの作出にペキニーズの混血があったことはまちがいないが、シーズーはラサ・アプソに近い犬種として固定された。
つまり中国宮廷のシンボルとして寵愛されたペキニーズに類似する犬種の作出は望まれなかったのである。
実際、体形や毛質、性格など多くの点でシーズーはラサ・アプソに酷似している。
シーズーの犬種名はライオンに近い中国の空想上の動物「獅子」の中国語発音からきている。
正確にはス・ツと発音される。
「獅子」は神格を有する動物として認識されていたため、「獅子」を具現化した犬種「シーズー」は相応の待遇で飼育された。
シーズーは革命前の中国で皇帝や貴族の愛玩犬として大切に飼育され、庶民が飼育することは許されていなかった。
宮廷のような隔離された空間での長い年月は、一犬種の系統を高度に固定するには有益に作用する。
中国原産と言われる犬種はヨーロッパに於けるテリア種のように近縁種が見当たらないのが特徴である。
シーズーは「頭部はライオン、骨格はクマ、足はラクダ、歩様は金魚」と評され、顔面のあらゆる場所に長毛が放射状に生える様子が菊の花に例えられた。
革命の時代に多くのシーズーは殺された。
ロシア革命に於けるボルゾイと同様の運命をたどる。
現在世界中に分布するシーズーは革命以前にイギリスに渡っていた犬の子孫である。
シーズーがイギリスに渡った1920年代、当時のシーズーはほとんどラサ・アプソと区別がつかず混乱したと言われている。
犬名もアプソと呼ばれていた。
出産子犬の内、短吻で短肢のものをシーズー、長吻で長肢のものをラサ・アプソ
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