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最後にはシャルルマーニュ(8世紀、西ローマ帝国皇帝として即位)の手に渡ったと言われている(シャルルマーニュはその後、槍を手にして以来47回に及ぶ戦いで勝利を収め続けたが、ある時槍を落とすと、その直後に死亡したと言われている)。 そしてその後、槍はカロリング王朝に渡り、サクソン家皇帝5代の手を経た後、ホーエンシュタウフェン家の皇帝7代の手を受け継がれたとされている(この時代にも皇帝フリードリヒ・バルバロッサ(赤髭王)はシャルルマーニュ同様、小川を渡っている最中に槍を落とし、その直後に死亡したという逸話がある)。そして、19世紀になると、今度はかのナポレオンが「ロンギヌスの槍」に興味を示し、アウステルリッツの戦いに勝利するなり、槍を探し求めた。しかし、戦争の直前、槍は略奪を恐れた王家によって既にニューンベルクからウィーンに運ばれていた為、ナポレオンはとうとう槍を手にすることはなかったという。そしてウィーンに運ばれた槍はその後、様々な人の手を渡り、ハプスブルク家にたどり着くのである。 そして「ロンギヌスの槍」は今日も、ウィーンのホーフブルグ宮殿内に展示されている(写真)。現在、これらの逸話が本当の話なのかどうか、我々に確かめる術はない。一体いかなる偶然をもって330年近く失われていた槍を含む一連の聖遺物が彼ら王族によって発見されたのか、多くの疑問の余地がある事は否めない。従って、現代の歴史家の認識では、それらは熱烈にキリストを信仰していた彼ら王族によって捏造されたものであり、現在伝えられれている「ロンギヌスの槍」のほぼ全ては捏造物であるとも言われているのは事実である。 聖遺物崇拝と十字軍 また上述の槍以外にも、ヨーロッパには別の「ロンギヌスの槍」がいくつか存在している。もう一つの有名な逸話としては、第一次十字軍の遠征の際、アンティオキアで「ロンギヌスの槍」が発見されたというものがある。逸話によれば、1098年、戦争の真っ只中にあったアンティオキアにて、十字軍のある賢者が突然ヴィジョンに導かれ、地中から「ロンギヌスの槍」を発見した(※)。そして槍を手にした十字軍は形勢を一気に逆転し、アラビア軍に対して劇的な勝利を収めたというのである。image=122564619.jpg
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