肥田春充

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肥田春充は、1883(明治16)年山梨県にて生を受ける。幼少の頃より虚弱体質であった春充は「茅棒」とあだ名され、死を見ること数度という大病に見舞われた。ところが、18歳の時、自らの心身を改造することを決意し、西洋の様々な運動法と東洋の丹田養生法、武道の気合を融合して全く独創的な川合(肥田)式強健術を創始する。そして、この方法により、わずか2年という短期日で強健な心身を手に入れて春充は、その肉体のみごとさに徴兵検査官を驚嘆させている。この川合式強健術の解説書は出すや否やたちまちベストセラーとなり、官庁、陸海軍、学校、会社等で講演が引きも切らなかったという。また、この強健術により肉体ばかりでなく明晰な頭脳までも手に入れた春充は、3大学4学部を同時に卒業するという離れ業を成し遂げる。
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