序章:両親の生い立ち

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序 章 両親の生い立ち さあ、ゆっくり目を開けてみてくださいな。 私たちは、1942年の9歳の照人に会いにきたのです。 「キーン・・・」 「バリバリ・・ダダダダダダダダ」 「ダーン」 遠い異国の海域で、強烈な16ミリ砲や爆撃弾の轟音(ごうおん) 1942年・初夏 第二次世界大戦中の昭和17年(1942年)6月5日、日本軍とアメリカ軍がミッドウェー諸島沖で激しく戦った年。 そうです、日本の勝敗を分けたミッドウェー海戦。 この戦いを機に、優勢であります日本軍の戦況も戦艦も大量に失い、転換期を迎えています。 もちろん戦争が進むに連れて食料の配給も困難となり、どこの家庭でも食いつなぐのが精一杯だったのです。 「お前、照人。これでご飯2膳めどっ!」 親戚のおばさんが怒鳴っています・・ 「・・でも、ほしい・・」 「うちの子の喰い分が減るじゃろうが!お前は我慢せい!」 「…は…い…」 「行く所がないけぇ、ここに置いてやっとるのじゃろうが…居候のくせに遠慮せい!それより牛の世話をせんかぁ!」 罵声が飛び交うのです 「わしは腹が減ってもう我慢出来ん!おばちゃんの言うことがわかっとっても、もう一杯、喰いたい…」 押し殺しせない少年の欲求はふたりの傍観者の意識に染み込む… 照人は戦災孤児。 彼は両親共に戦争で幼い頃から親をなくし孤児となり、ゆえに食料品なども貧窮している戦時中に少年時代を送ります。 行き場所を失う、みなしご照人。 彼は養父母を求めさ迷いますが、どこの親戚も口が増える事を嫌います。 仮に受け入れて貰い、雨風がしのげましても、食う為には労働をしなければ、生きる事すら許されないのです… 物資・環境ともに恵まれた、戦争未体験者には到底想像できない世界。 照人は、早めの夕食も中断、僅か9歳足らずの少年は、もう一杯の麦飯をほおばりたくて、耕作牛の世話を汗だくになりながら…やぶ蚊に刺されながら… ただ… 夕暮れの初夏 人様には… 茜雲に色づいた田んぼ越しの風景 それが遠巻きに見えるだけ… 照人の場合は、早くに親を亡くしたと先程もお伝えしたのです。 しかし、少しばかり特殊な事情もあったようです。 その事情… 実の母が早くに病死、後妻を貰う事になりまして、幼いながらも義母との折り合いが悪くて実の父親に勘当。 実父に捨てられた不条理な戦災孤児
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