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私が生きて来て一番一緒にいてくれた「兄弟」。
それが「ミーコ」だった。
ミーコは私が三歳位に貰われてきた、キジトラとシャムのハーフの猫だった。
飼い主担当は私。
母はまだ猫の飼い方を知らなくて鰹節にご飯の「猫まんま」をあげていた。
当然タンパク質が不足する。
ミーコはおんも猫だったから、虫や鳥を食べてタンパク質を補給してた様だ。
実は一回だけ隣の家の十姉妹を捕ってきたのはここだけの話しだ。
「命」は「命」を補給して「生」きている。
それは鶏や豚や牛、魚や貝、野菜を食べる私達も同じだ。
ミーコは幼い私が育てたせいか、人懐っこい抱き癖のついた大人しい、優しい猫だった。
ミーコが空に還ってしまった今も、ミーコの話しは時々する。
ミーコはまだ若い頃、子猫を二回死産させた。
お医者さんには「このままだとこの猫は早死にします」と言われて、避妊手術をした。
そうしてミーコはお婆ちゃん猫になった。
そんなある日、私はまだ乳離れしたばかりの子猫を三匹拾ってきた。
ミーコは出ないオチチを懸命に子猫達に吸わせて、優しく面倒を見ていた。
やがて子猫に歯が生え揃ってきた頃、ミーコのお腹を見たら、乳首がいくつか無くなっていた。
子猫にかじられたのだ。
けれどミーコは気にするでなく、子猫に乳を吸わせていた。
†††
私が大人になり、夜遊びを覚えた頃、ミーコはぼけてきたり、白内障になったり、本当に人間の老人の様になっていた。
ある日、ミーコはヨタヨタした足取りで家を出ようとして、母に止められた。
ミーコはソファーの陰に隠れ、余り動かなくなっていた。
†††
何故だか夜遊びをせず、八時位に帰った夜、段ボール箱の中、ミーコは既に手足が硬直してきていた。
後少しで終わってしまうミーコの「命」。
私はミーコの傍に行った。
ミーコは私を見て「ミャーオ」と小さく鳴いた。
普段は鳴かない猫なのに。
深夜、十一時半。ミーコは「死」んでいた。
私は泣きながら、ミーコを抱いて一晩中眠った。
ミーコは哀しい位冷たかった。
今もミーコを思い出し、ゆずにミーコの話しをし、ミーコ位長生きする様に祈っている。
ミーコはかけがえのない、私達の「家族」だった。
†††
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