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よのなかに、もしも言葉がなかったら、ひとはもっとしあわせになれる。私はいつも、そんなことを考えている。
私は今日、失恋した。
わかれの言葉はひとことだった。携帯電話ごしの「サヨナラ」。それだけ。
中二のときからもう三年もつきあった。それなのに、じかに会ってもくれなかった。
わかれの理由は、私がいちばんよくわかっている。私が、口がきけないからだ。
私はうまれつき、声がでない。
彼は私が告白したとき、それでもいいよと笑ってくれた。笑うと目がなくなってしまう彼の顔を、私は今でもよくおぼえている。
どうしてもやりきれなくて、私は今、公園のぶらんこに揺られている。
傷心のおとめは、夜の公園で、月のひかりをあびながらぶらんこに座っているのがふさわしい。私には、そんな思いこみがある。
夜空はとてもきれいだった。まあるく肥えふとった月が、しずかに私を見下ろしていた。
星はちかちかまたたいて、私に涙をながさせる。
こんなとき、声をあげて泣けたらどんなにかいいだろう。けれども私は声ひとつもらさず、陰気に泣くことしかできないのだ。
好きだった。とてもとても好きだった。
それなのに彼は、私を捨ててゆくと言う。口もきけない女はいらないのだと言う。
だから、私は思う。
よのなかに、もしも言葉がなかったら――と。
私はため息をついた。
どうして神さまは、私に言葉をあたえてくださらなかったんだろう。
「――ひなこ」
そのとき、長い影が私にかぶさってきた。おにいちゃんが私の前にたっていた。
私は、しぼんだ気持ちがまたふくらんでゆくのを感じた。
おにいちゃんは白くてほそくて背がたかい。とてもきれいな人なのだ。見るものを清冽な気分にさせるおにいちゃんが、私は大好きだった。
「帰りがおそいから心配してたんだよ。はやく帰ろう」
めがねの奥の気弱そうな両目が、私をまっすぐ見つめている。おにいちゃんのさしだした手につかまって、私は立ちあがった。
おにいちゃんのほかは誰も心配なんかしてくれていないということを、私は知っていたけれど、おにいちゃんと手をつないで、ふたり肩をならべて家に帰った。
肩をならべて、といっても、私はおにいちゃんの肩ほどまでしか身長がなかったのだけれど。
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