たえて言葉のなかりせば

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 家に戻った私を待っていたのは、みごとな無関心だった。  おかあさんは私を見ようとさえしない。おとうさんは私を一瞥しただけで、すぐに焼き魚の身をほぐすのに戻る。  私は厄介ものなのだ。両親は私をいまいましく思っているにちがいない。  おにいちゃんのひいてくれたいすに、私はちょこんと腰かけた。私のとなりの席にはおにいちゃんが座る。私たちは、なにも言わずに食事をはじめる。  会話はない。おにいちゃんはもともと無口だし、両親は私をきらっている。食卓はいつも不気味でしずかだ。  食器同士がぶつかりあう音、それだけがひびく。  部屋で本をよんでいると、ノックの音が聞こえた。私は机をけとばした。声のでない私の返事は、一回ならしたらイエス、二回ならしたらノーという、きわめて簡単なものなのだ。  ドアがあいた。おにいちゃんがはいってきた。  どうやら、私と話したいことがあるらしい。 「今日、なにかあったの?」  やさしくおにいちゃんが言った。  私はホワイトボードをだして、マーカーで文字を書きつける。  ふ ら れ た の  一字ずつゆっくりと書いた。だんだん悲しくなってきて、うつむいた。  目許がじんわり熱くなって、なにかが目の奥からにじみでてくる。ぱとん、と落ちる。  なみだ。  とまらない。  たぶん、好きなのだ。まだ。  あきらめられないのだ。  しつこい女だと、自分でも思う。しめっぽくて、いやな女。  でも、他人になんて思われたってかまわないくらい、私は彼が好きだった。今も好きだ。たぶん。  すきだったの  とてもとてもすきだったの  ほかにはなにもいらないくらい  ほんとうに  ほんとうにすきだったの  私は乱暴に書きつける。視界がゆがんでいて、文字がにじんで見えた。  どうしてひとは、一度好きになったひとをずっと好きでいられないんだろう。  もしそうなら、ひとはもっとずっと、しあわせになれるに違いないのに。 「ごめん……。ごめん、ひなこ。もう泣かないで」  おにいちゃんのぬくもりが、私をつつんだ。私はおにいちゃんのシャツに顔をうずめて、なみだを吸いとらせた。  子どもをあやすみたいに、おにいちゃんの手が私の背中をたたいている。  しばらくすると、なみだは収まってきた。  おにいちゃんが、あたたかくてやさしいから。だから、なみだは退却してゆく。
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