ALL WE NEED ARE BLISS

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 書斎は煙草の煙で満ちていた。   「人の一生っていうのは、小説と同じだ」  気持ち良さそうに副流煙を吐き出した無精髭の男が、目を眇めて幼い子供に手を伸ばした。煙たがって眉間に皺を寄せる子供の、黒く艶やかな髪を男の手のひらが掻き混ぜる。 「ただそいつがハッピーエンドになるかどうかは、分らない。作者がいなくて、プロットもない話だからな」  子供は「ぷろっとってなに」と思ったが、黙っていた。このひどく濁った空気にのどを痛めるのが嫌だったからだ。それなのになぜこの煙草染めの書斎を訪れたのかというと、それは父に担ぎ上げられて連れ込まれたせいである。  父はそうして時々、小難しいことを息子に語って聞かせた。 「だけどなぁ、そんな筋立ても予定調和もない話だからこそ、人生は面白い」  無精髭の顎を撫でさすり、父はこぼれそうな灰を灰皿に押し付けた。 「……血反吐にまみれて野垂れ死ぬかもしれん。あるいは陥れられて、どん底に落ちるかもしれん。でもな」  切ないような、寂しいような瞳が幼子を見つめた。 「お前の人生はお前が本気で本当に願えば、ひとつくらいは好きにできるはずだ。……みんなが幸せになれるご都合主義のハッピーエンドなんざ、誰も書いてはくれないし、用意もされていない。でもな、お前の望む幸福だけは、お前次第だってことだ。わかるか」  言われて首をかしげる。そんな息子に父は苦く笑って、「いつか分るさ。覚えとけ」と呟いた。  主に似合わない高級な革張りの椅子から立ち上がり、男は息子に背を向ける。  机の上に載った真っ白な封筒と、その中の紙切れに小さな子供は気づかない。 「元気でな、恋」
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