第3章 いつもと違う年末

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「なんだとー!」 「だから、そっちは燃えるゴミで、空き缶はそっちじゃない。そもそも、空き缶はリサイクルだから捨てるべきじゃないと言っている」 聞き覚えのある声がコンビニの前から聞こえてきた。 「あ……」 瀬谷さんだった。 なにやら、酔っぱらいが缶ビールの空き缶を燃えるゴミの方に入れようとしたらしい。 「先生!」 「おお、えっと、隣の……」 「桐渕です!」 「あ、そうそう。桐渕さん。こんばんわ」 瀬谷さんは、こっちを向いて冷静に挨拶をした。 私はぺこっとお辞儀をした。 「おい!こら!誰と話してるんだ!」 酔っぱらった中年のサラリーマンがとろんとした目で怒鳴っている。 「あの、酔っぱらいに注意しても意味ないと思うんですけど」 「君は、結果がわかっていないのに最初から投げ出すのか?そもそも結果は……」 「この野郎!」 こっちを向いたまましゃべっている瀬谷さんに無視されて怒った酔っぱらいが突っ込んできた。 「危ない!」 私が叫ぶと瀬谷さんは振り向かないまま、すっと私を抱きしめ、横に一歩避けた。 酔っぱらいは目標を失い、前のめりによろけながら倒れた。 「痛ってぇー!」と、酔っぱらいは転がったまま叫んでいる。 ちょっと固まっている私に、抱きしめたまま、まるで何事もなかったように冷静な彼が聞いた。 「大丈夫か?」 「大丈夫です……」 そう答えたが、心臓はドキドキしていた。 誰かに抱きしめられたのは何年ぶりだろう。 それにこんなにすぐ傍から男性の声が聞こえるのも。 しばらくして、警察官がやってきて、その酔っぱらいを連れて行った。 ある意味、あのおじさんも不幸な出来事だったなと思う。 瀬谷さんが注意しなかったら連れて行かれることもなかっただろうに。 「あの、瀬谷さん何かやってたんですか?」 「ああ、昔、合気道をやっていた」 酔っぱらいの空き缶をちゃんと「空き缶」のカゴに入れながら彼が言った。 「やっぱり。紙一重で避けましたよね?」 「当たり前だ。必要以上に避けるのは動きとしても体力的にも無駄だ。武道も機能を考えてできあがっているんだ」 「はあ……」 (どうしてこの人はこんな言い方しかできないのだろう?)と思いながらも、武道もできることには感心した。 「では、帰ろう」 彼は何事もなかったように言った。  
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