5人が本棚に入れています
本棚に追加
「おばあちゃんは、千里眼だからね」
これが祖母の口ぐせだった。
僕が少年時代に住んでいた家は二世帯住宅で、建物は戦前に建てられたという恐ろしく年季の入った木造建築。
祖母はその家に宿る精霊か何かの様にいつもひっそりと佇んでいた。
祖父は物心つく前に既に他界していて、全くと言って良い程姿形を思い出すことはできない。
そして僕は大変なおばあちゃん子だった。
父も母も仕事で遠くの街まで通っていた為、朝はまだ日も昇らない内から家を出て、夜とうに眠りに就いた後に帰宅するというのが常だった。
そのため、兄弟もいない僕は自然と祖母と一緒にいる時間が長くなっていった。
「ただいまあっ!!」
建てつけの悪い引き戸を力一杯開いた昌平が、ランドセルを放り投げ、靴を脱ぐのももどかしそうに階段を駆け上がる。
小学校から家までは歩いて30分程だった。
その距離を駆け抜けて来た昌平にさして疲れの色は見えない。
それは若いからというのもあるだろうが、単純に慣れてしまったのだと思う。小学校に同年代の生徒は数える程しかいなかったし、その少年達も遠くから小学校に通っていて、昌平とは家が遠く離れていた。
その友人達と遊んだ事も、また、数える程しかない。皆授業が終わると散り散りになり、三々五々家路についた。
昌平も例に漏れず授業が終わるやいなや帰宅していたが、昌平には家に帰っても楽しみがあった。
昌平が階段を昇り終える頃には既に部屋の前に祖母がいて、昌平を満面の笑みで迎えた。
「お帰り、昌坊」
祖母はいつも淡い茶色の着物を身に着けている。この服装は毎日変わることがないが、けして不衛生という訳でもない。
体からは仄かな香水の匂いこそすれ、汗臭い匂いなど微塵もしないし、着物も黒ずんだり汚れたり皺がついたりすらせず、綺麗である。
それとは対照的に顔や体には深い皺や染みが刻まれていた。
「ばーちゃん、ただいまー!でも、なんでぼくがかえってきたってわかったの?」
すると祖母はただでさえ皺の多い顔を更に皺だらけにして言う。
「おばあちゃんは、千里眼だからね。昌坊が、玄関の扉に手をかける前から、もう帰ってきたのがわかっていたよ」
みるみるうちに昌平の目に、少年らしい好奇心旺盛の輝きが増していく。
最初のコメントを投稿しよう!