~第二章・小学校時代~

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いよいよ小学校入学 一応・幼稚園に通ってた 僕は、入学前に市川駅前にあるビルに引っ越しして母は、スナックを経営した。 いきなり、そんな贅沢な 暮らしに変わったのも 毎日・毎日・寝ても覚めてもスナックを経営して 頑張る、お袋の姿があった… 幼稚園時代から段々と すれてきた僕は 入学してすぐの頃、お袋のサイフから一万円を 盗んでは ゲームセンターに入り浸りしてた。 当時のゲームセンターはまだ風営法がなく 24時間営業…不良たちのたまり場だった。 流行は、ドンキーコング や、スクランブルなどのゲーム。 中には全て20円ゲームの店もあって、飲み物と 焼きそばや、軽食もあって、お袋のサイフから 一万円を盗み、当時流行った、ゲームウォッチを買い、残りはゲーム… ガキの僕には、とても使い果たせる金額じゃなかった。 たまに、小学校の先生や お袋が、ゲームセンターに探しに来た。 僕は、声がすると走って 逃げて、近くにある 3分間写真のボックスの 中に逃げて、カーテンを 閉めるのが定番だった。 でも、なぜか毎回バレる…。 カーテンを閉めても 3分間写真のボックスからは、小さな僕の足がみえてて、それで毎回、 お袋には捕まった(笑)。 当時の流行は、横浜銀蝿に、なめ猫、文房具屋や レコード屋に行くと、 実際にある暴走族の ステッカーや、ポスターが堂々と売っている… そんな時代だった。 何回も、ゲームセンターで寝泊まりをした記憶が 今も、はっきりある。 テレビは、不良や暴走族 ブームで、ミッキー安川の番組では、暴走族の 集会現場なんかの インタビューが流れてた まさに、暴走族ブーム だった。 当時、兄の知り合いでもある 現在でも有名で 当時・マスコミでも 『暴走族・KILL○連合、数千人の頂点に立つ女リーダー』 として有名でドラマにも出ていた 浅○の○こ さんが お袋の店で働いてた。 兄の仲間も、○神会と いう名や、○桜会という名の暴走族を結成して 走っていて、写真集にも 出てた。 兄たちは、某・暴力団 組織の戦闘服で集会に 出てた。 子供ながらに カッコイイと思っては マジックで下手くそな字 で マスクに、兄も加入していた暴走族 市川 スペ○ターの文字を書いた。image=127069990.jpg
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