2528人が本棚に入れています
本棚に追加
/76ページ
下手くそな文字で書いた
市川 スペ○ター…
そのマスクをして
小学生の僕は、ゲームセンターに行ってた。
ゲームセンターに行くと
仁平姿の不良の知らないお兄さん・お姉さんに
可愛がってもらった。
ゲームの鍵をなぜか
持っていて、タダで
ゲームをしてた。
僕も、それに交ぜてもらってはゲームしてた。
もう、暴走族に対する
興味は、止まらなかった…。
雑誌
ホリデーオート、ヤングオートなどを読んでは、
その中に連載されていた
漫画・たいまんぶるうす
に興味を持った。
下敷きには
市川 スペ○ターと
落書きをして、それを
机の上に出しては授業を
受けた。
僕の担任だった先生は
普段は、見てみぬふり
だったが
ある授業参観日…
PTAたちが集まった
やつらの前で、わざと僕は
下敷きを取り上げられ、
先生に叱られた。
先生は、PTAに聞こえるように
『あんたの家の兄は
暴走族で、母は水商売』
と、けなし始めた。
僕は立ち上がり、先生を
睨み付け、ランドセルを
先生に向かって投げ付けては
涙目になって教室を出て行った。
同じクラスのPTAからは、口を揃えて
○○君とは、絶対に遊ぶのはやめなさい
と言われた。
『不良には、淋しいやつらが多い』
たしかに、そうなのかも
知れない。
小学校という場所に
心のよりどころはなかった。
むしろ僕には、強制的に
わけのわからない勉強を
させられる場所でしかなかった。
同じ学年の、ナヨナヨしたやつらは
徹底的にいじめた。
小学校・高学年になると
映画館で、暴走族映画
『俺たちの生きた時間』
と
『夜をぶっとばせ』が
上映された
僕は、それを見に行った
。
映画館の入口に溜まってた不良のお兄さん・お姉さんが、まだ子供の僕を
みて、びっくりしてた。
ねぇ?この映画みて
わかるの?というお姉さん。
うん、エン○ラーは最高♪などという僕…(笑)
テレビは、毎度おさわがせします
や、夕焼けニャンニャンが流行ってた。
当時の格好は
原宿・クリームソーダや
セーラーズ。
アロハシャツ、ボーリングシャツ、アミのサンダル。
そして、いよいよ
中学校 入学が近づいてきた。
最初のコメントを投稿しよう!