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「磨知とヤルの楽だから、
マグロ癖がつきそうだ」
「冷凍マグロは尾を切落とされるのよ。品定めのために」
「物騒だな、相変わらず」
ベッドに起き上がった雨宮は
「おお恐っ」と肩をすくめる。
そして、
「終わった途端ちゃっちゃか
シャワーに行っちまう癖、
なんとかならないか。
普通女は
余韻を欲しがるもんだぞ」
私の腰を引き寄せ、
ベッドに上がるよう促す。
「余韻って、
腕枕かなんかしてもらって、
愛してるわとか言うの?そんなの貴方の女に頼めばいいでしょ、
おままごとじゃあるまいし。
それに、私にそんなことされたら、絶対気味悪がるくせに」
私は言いたいことをすべてまくしたて、彼の冷蔵庫から持ってきたエビアンをボトルのまま飲む。
男は今年三十になる。
笑み皺は出会った頃からのものだったけれど、白髪の侵食度合いは急に増し、ただひとり本人だけを焦らせている。
しかしそれは、他者には魅力以外のなにものでもない。
茶色の豊かな髪と、
現場灼けした肌に刻まれた皺は、誰もが好意をもって迎える類のものだ。
彼がこれまで何を見、身につけ、
そして成してきたのか。
その来かたを伝えるのに、こんなにいい小道具はない。
建築家が髪を黒々と染めていたりつるつると茹で卵のように色白だったりしたら、クライアントは
不安になって帰ってしまう。
だから貴方はそのままでいい。
たとえ必要以上に老けて見えようとも。そう私が言ったとき、
「親友の忌憚のない意見には、
素直に従いましょうか」
そんな風に、彼は答えた。
耳慣れない言葉を、
易々と口端にのせて。
そうだ。私達は間違いなく親友で、恋人ではない。
歯に衣着せず言い合い、打ち明け、嫉妬や詮索とも無縁で、
尊敬と嘲笑を共存させ得る関係。肌を合わせるのは、
たまたま彼が雄で
私が雌であったから。
初めは成りゆきで、その後は単に後腐れなく都合がいいから。
そして彼は、
決して結婚はしないと宣言し、
女達と深みにはまるのを
慎重に避けている。
だから恋人とは続かない。
相手が確かな言葉を期待し始めると完全入れ替え制になる定員一名とその座は、今、端境期らしい。
子どもも絶対に欲しくないと
断言してはばからない。
自分の遺伝子を後世に伝えるのは、完璧な過ちだと疑わない。
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