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そう言って、後ろを振り返る。 恥ずかしそうに首だけ曲げた男を 「主人です」 誇らしげに紹介する間に、 私は記憶の糸を手繰り寄せる。 ああそうか、杏子だ。 当時の顔が思い浮かばないけれどイメージの中にその名はあった。 どうして今まで 気が付かなかったのだろう。 そろそろ私の世代が購買層に なりつつあるのだ。 これから、また同じことが起きないとは限らない。 同級生がやって来て「磨知?」と 嬉しそうに私を見つけるのだ。 これがわたしの夫、 こっちが私のかわいい子ども達、私の大切な家族よ。 ところで磨知ちゃんのは? 私にだって大切な人はいる。 熱めの湯をバスタブに溜めながら「ふたりもいる」と独りごちる。 なにをムキになってるのだろう。滑稽だ。 具体的な顔というのではなく、 雰囲気として 留美を思い浮かべる。 胸があたたかになる反応として、脳の隙間の満たされる感覚として、指先が求める衝動として、 彼女を思い出す。 そこへ雨宮が ひょっこり首を突っ込む。 安堵、安寧、保護、自由、手足の伸びる感覚。あんな様子をして、彼は 私のガーディアンエンジェルだ。 ふたりの大切な人。どちらも胸を張って触れ回ることができない。説明のしようがない。 家族と呼ぶためには、その中に既存のカテゴリーがない。 そんなことどうでもいいのだと、私にとって掛け替えのない 存在であるのなら、誇りを持っていいのだと、そう頭ではわかっているのだけれど。 雨宮はいい。彼はなにがあってもびくともしないだろう。 では留美は? 彼女を巻き込みたい私の欲望は、邪悪なものなのか? 愛していると、 言ってしまえるなら。 彼女が共犯になってくれるなら。私はひとりぼっちではない。 しかし留美は、 私が本当に欲しい留美は、 まだ手に入ったとは言えない。
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