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渡りをするガンに似た長く しなやかな翼を持つ大天使が、 細身の剣を振りかざす。 その細さが、官能を呼び起こす。 女にしか見えない体驅は 黄金の甲冑で隙なく包まれ、 質感のある水色のマントが たなびいている。 官能的な、戦いの天使。 ブリューゲルの描くミカエルは、それ自体が異形の存在に見える。周囲の反逆天使達の、 放埒な怪物ぶりにも負けぬ程に。 大天使ミカエルも反逆天使も、 魔王ルシフェルすら、元は神の 膝元にあったものだ。 ユダがキリストを愛していたように、ルシフェルも神を盲愛しただろう。 ミカエルと同じく。 罪人の上に剣を振り下ろす ミカエルは、 堕ちる彼らを目の当たりして なにを思うのだろう。 奈落へ堕ちてゆく ルシフェルの瞳に映る己の姿は、壮絶な戦闘で薔薇色に上気し、 ギラつく返り血で彩られていた筈だ。 そこに、なにを見る? ナルシスティックな興奮と、 背反する空しさを共に 見つけはしなかったのか? そしてその奥底で光ったものは?追い立てられる異端者の瞳に、 悲しみの光を見つけずしてなにが神の戦士だろう。 この大天使ミカエルは、 半分は誘惑されている。 神の御元を去ることはないにせよ、異端を見つめすぎたせいで 華々しい栄光に耽溺できずにいる。知ってしまった。 愛に似た憎しみの、悲しさと官能を。 神が教えなかったことを。 だから、その姿は反逆天使達の中に埋もれてしまう。 醜悪な怪物の中に。 絵の上部では、 華やかな衣の天使達が、光の中で神のラッパを吹き鳴らしている。 神軍の勝利を確信し、神の栄光を讃えて。 しかし、闇に沈んで戦っている ミカエルが勝利のラッパを吹くことは、終ぞないだろう。 膨大な血を吸った 細身の剣だけが、 その指にしっくりと馴染むのだ。 私は異端の怪物なのだろうか。 だから彼らに 親近感を抱くのだろうか。 そうであれば留美は、 ギリギリのところまで降りてきてしかし堕ちることはないミカエルのようなものか。 剣を持つ腕をルシフェルに つかまれでもしたら、 どうするつもりだろう。 神に賜った黄金の手袋を剥かれ、手の甲に口づけられたら? もしミカエルを道連れに おとしめたら、ルシフェルであっても後悔するだろうか。 異端の悲しみは倍加されるのか、それとも、 慕ってくれる手をとることで、 存在は肯定され 癒され生まれ変わるのだろうか。
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