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なのに、通り過ぎる予定であったはずの僕の足は、彼の前から動かなくなってしまった。
彼の声とギターの音色が、一本の線となって脳に響く。
それは不思議と心地よく、いつまでも聞いていたいような気分にすらなる。
オリジナル曲なのだろうか。
手書きの楽譜に時々目をやりながら歌うその歌詞は、素朴ではあったが、やはり心地よかった。
一曲が終わるのは、本当にあっという間。
歌の止んだ夜の静寂が、僕を現実世界に引き戻した。
ずっと聞いていた僕に気付いた彼は、眩しい笑顔で会釈をした。
僕は慌ててポケットに手を入れ、中を探る。
出てきたのは、500円玉。
100円にしようかとも思ったが、わざわざ財布を取り出すのもアレなので、手にした500円玉を彼の目の前の小さな箱に入れた。
チャリン、と少し重い音がした。
「え?!500円?!」
予想しなかった声に、僕は何かマズかったかと焦る。
声の主である青年に目をやると、びっくりしたような顔で箱の中――正確には500円玉を見つめていた。
「500円も!!いいの?!うわぁ初めてもらった…ありがとう!!」
輝くばかりの笑顔で、彼は何度も僕にお礼を繰り返す。
「俺の演奏に500円払ってくれた人初めてだ…あ、じゃあもう一曲弾くよっ!!これ、この中からどれでも選んで!!」
青年はいそいそと楽譜の束を僕に差し出してくる。
その厚みと汚れ具合から、彼の長い音楽歴が感じられる。
僕は妙に恥ずかしくなり、逃げるように背を向けて歩き出した。
「あれ、行っちゃうの?なあ、また聴きにきてよ!!約束な!!」
背中から聞こえる声に、僕は自分の顔が赤くなるのが分かった。
赤面なんて、この歳になってするとは思いもしなかった。
人のほとんどいない駅を、僕はひたすら改札へと歩いていった。
これが僕、秋野眞也(アキノ シンヤ)と魔法使いとの出会いだった。
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