二章

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 首に掛けられた彼の手に、僅かな力が込められたのを感じた。  しなやかなその指に備わる、長い爪が肌に食い込み、血が滲み出す。 「……アレイスト」  しかし、それ以上の力は込められず、多少息苦しさを感じる程度に留まる。 「アレイスト・グレイ・アルファード」  まるで一つの詩を綴るようにその名を紡ぎ。 「わたしを殺すかい?」  まるで人形のように熱のない表情で再び問い掛けた。 「殺すかい?アレイスト」 「……貴様は」 「わたしを殺して、貴方も死ぬかい?」  それが……、と。 「それが貴方の望みなのかい?」  彼女は、笑った。  殺したい……死にたい。目がそう叫んでいる。  自分が死ねば、この部屋から出ることができないこの男も必然的に死ぬ事になる。  自分しか場所を知らない、この部屋で。  ただ、一人で。  しかし、ふいにその手が離れ、息苦しさが消えた。  熱を帯びた彼の目が一瞬だけ伏せられ、また彼女を見据えるように向けられる。  急に首筋から消えた温もりに、むしろ困惑して彼女は片眉を上げて彼を見詰め返す。 「出て行け」  呟くようなその言葉に、イシュカは今度はどこか困ったように微笑んでみせた。 「可笑しいね、貴方はいつも」  殺したい、死にたいと叫んでいながら、いつもそれを実行に移さない。その機会は今までに、充分にあったはずなのに。  それを判っていながら、あえて放置していたのに。なのに、いつも結局。 「本当に、結局どうしたいんだい?」  血の滲んだ首筋を軽く一撫でして、彼女は立ち上がった。  目線の下、恐ろしくさえ感じるほどに美しき魔性を見つめて。 「……殺さないでくれて有難う。わたしはまだ死ねないからね」  そう言って彼の手を取り、口づけた。 「同様に、まだ貴方を手放す気もないし、死なせる気もない」  笑う。花の様に、笑う。 「また来るよ。貴方が嫌がってもね」  城は相も変わらず騒がしかった。  自室に戻った彼女は、またつまらなそうな表情で窓の外を見つめている。  ふいに、その口元が綻ぶ。その微笑は、けれど、可憐というには毒を含み、嘲笑というには無邪気すぎた。  --国の者が知れば、何と言うだろうか。  幾度となく頭をよぎる疑問。  王女が魔王を捕らえ、生かしているなどと知れたら。  イシュカはそれを想像する度に、微かな笑みを浮かべるのだ。 そして、最後に決まってこう心中で呟く。  どうでもいい、と。
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