785人が本棚に入れています
本棚に追加
城の後方に広がる緑豊かな森。今は潤いの季節ということもあり、そこは柔らかな生命に満ち溢れている。
色とりどりの花々が咲き乱れるその道を、イシュカはゆるゆると歩いていた。
簡素な作りだが、上品な藍色の装の裾が草花を撫でて行くのも気にせずに、辺りに漂う花の香に心地よさそうに目を細め。
有るか無しかの微笑を浮かべ、辺りを見回しながらゆるやかに歩くそのさまは、一見ただの気ままな散歩をしているように見える。
けれどその足どりは、ゆるやかなれどしっかりと目的の場所へと向かうものであった。
既に結構な距離を歩いた頃、彼女の前に崩れかかった建物が現れた。
それは時の無常を一体に表しているにもかかわらず、どこか荘厳な雰囲気を感じさせる建物である。もとは教会かなにかか、とにかく神聖な場所であったに違いないだろう。
イシュカは軽くそれを見上げたあと、中へは入らずに裏側へと回る。
そこにはかつては中庭だったであろう開けた空間があった。大きなだ円形のその中心には、崩れてはいるが噴水らしきものが見て取れる。
その空間の隅、ひっそりと佇む女性の像があった。
イシュカは風化したその像を一瞥すると、おもむろに像の足元を探り始める。
その手がやがて何かの感触を確認したとき、重々しい音が響き渡った。
彼女は微笑む。そして像の後方へ回ると、そこには地下へと続く階段が、うっそうとしたその姿を晒していた。
それを確認して、彼女はまた微笑んだ。
そして階段に置き捨てておいた松明を拾うと、同様に置いておいた燃焼石で火を点す。
果てすら見て取れない、不気味極まりない階段。微塵も恐れる様子もなく、イシュカはそこに足を踏み入れた。
何も欲しくはなかった。得たものを守れればよかっただけ。
それも叶わず、ただ虚ろな自分だけが溶け残って闇に囚われ。
死にたいのか、生きたいのか。
殺して欲しいのか、殺したいのか。
ただ、もう何も無い。
眼前に広がる闇のように。
嗚呼、しかし、それでも。
……彼女が来た。
最初のコメントを投稿しよう!