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誰かに呼ばれた気がして、若者は動きを止めた。
反射的に振り返るが、人影らしき者は見当たらない。
眼に映るのは何等変わらない、いつもと同じ風景。図書館の本棚に並ぶ書物と、ステンドガラスから差し込む仄かな光だけだ。
背の高い書架と書架の狭間は、静寂が満ちている。誰かに呼ばれたのならば、確実に耳に届く。
だが、実際に声を掛けられた訳ではない。
ただ、そんな感じがするのだ。
若者は暫し思案していたが、何か理解したのか薄く微笑みを浮かべた。
再び手を動かし、戻し掛けてした本を棚に押し込む。抱きかかえている書物を次々に戻して行くが、最後の一冊になると書架を見渡した。
紫色の眼を細めて首を傾げる。短い溜め息を付いた拍子に、長めの前髪が視界に掛かるが、特に気にする素振りはない。
その一冊を抱きかかえ、そっと本棚に背を預けた。
真新しい玩具を見つけた猫の如く、悪戯っぽい光を眼に宿す。
愉しそうに眼を伏せると、黒髪の若者は喚ばれた場所へと意識を向けた。
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