序章

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厳しい冬が、いまだ終わりを見せようとしない二月の終わり。 どんよりと厚く黒い雲が立ち込める空は、今にも雪混じりの冷たい雨を降らせそうな気配を見せている。 ときおり思い出したかのように激しく吹き付ける北風は、身を切るように冷たく、ボサボサに伸びた前髪が風を受けて俺の視界を塞ごうとする。 ・ ・ ・ そんな薄暗い空を見上げながら、俺は一人で大阪港の巨大なコンテナや倉庫が立ち並ぶ岸壁で、あちこち擦り切れたコートの襟を立ててうずくまっていた。 遠く、海の向こうに見える淡路島はもやがかかって灰色の影を浮かびあがらせ、南の方にそびえるWTCやビル群は、まるでここで亡くなった多くの犠牲者達の巨大な墓標のように悄然と立ち尽くしている。 そして、かつては貨物を運ぶリフトが行き交い、石油や商品を運ぶ船が往来していたであろうこのコンクリートと金属でできた巨大な港は、冷たく静まり帰っている そんな静かなこの場所で、時折細かい雨とみぞれまじりの風が吹き付ける音と、あの時に救えなかった、彼女の断末魔の叫びと、悲しげな瞳だけが、鼓膜と網膜を通さずに、脳に直接刻みつけるように響いてくる。 何度夢に見ただろう、最後に見た、助けを求める悲鳴と、俺の一瞬の躊躇に見せた、あの哀しみに満ちた瞳…。 …あの時はどうしょうもなかったんだ…。 卑怯で弱虫な自分を自嘲しながらも、そう言い聞かせる事で、かろうじて正気を保っている俺に、あの、彼女の最後の瞬間に見た、悲しい瞳は今でも俺の記憶に訴えかけてくる。
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