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右の目尻の泣き黒子(ぼくろ)が印象的な顔に苦笑いを浮かべているのは、齢(よわい)二十七で大店(おおだな)『箕屋』を取り仕切る『番頭』を任ぜられた、商いの才能を天賦に持つ青年『駒屋喜市(こまや きいち)』。
元々は江戸の倖花町で細々と小間物…化粧品・装身具・日用品などの細々したものを売っていた商家の四男だったが、不景気による口減らしの為、両親が親交のあった『箕屋』に奉公に上がらせた途端才能を開花。
何千といる奉公人や職人を束ね、常に小忠実(こまめ)に商品の収支を記帳及び把握しているという、正次郎とは真逆と言っても過言ではない、いわゆる『仕事の虫』である。
因みに『番頭』とは『商家などで、使用人の頭(かしら)。手代以下を統率し、主人に代わって店のすべてを預かる者。』を指す。
『箕屋』を現代の企業に例えるなら、正次郎は『専務取締役』喜市は『常務取締役』と言った所だ。
「それにしても、正次郎様が本店である本宅(こちら)にいらっしゃるなんて珍しいですね。何か御用事ですか?」
「んー?まあ、ちょう…お父はんにぃ…な。」
「大旦那様…ですか?」
「…ボクは、やっぱりお父はんとよう、お話できひんのや。にゃから、正一郎兄さんに変わりにお話してもろた。そやし、兄さんも多忙な人にゃから、せめてお店(たな)手伝わせてもらおかなぁて。」
「…………」
浮かない顔を浮かべて自分の横に座り、濃緑の暖簾の隙間から覗く往来を見つめる正次郎の心中を察してか、喜市は何も言葉を返さず、紙縒で纏めた伝票をトンと文机に軽く叩きつけて整えると、お茶でも淹れて来ますと言って立ち上がり、店の裏…『箕屋』一族が住まう『母屋』に向かった。
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