135人が本棚に入れています
本棚に追加
実を結ばない花の名前を付けると早死にする。
そんな迷信をふと思い出す春の桜。
小振りな薄紅色の英(はなふさ)を、惜しげもなく艶やかに魅せるその姿は、見る人々の心を歓喜と高揚に誘(いざな)う。
然りとて、東風風に吹かれ花弁を揺らされれば、それはパアッと潔く、芯に縋る事なく瓦解する。
花の命は短い。
愛でようと思った頃には、既に花は散り、丸裸にされた大樹。
そこに虚しさで顔を歪ませ、ただ呆然と佇む一人の男。
舞い散る桜吹雪の中に掌を掲げると、ふわりと宙を舞う一片が、其処(そこ)に収まる。
握り締め、淡い匂いのする拳を大事に空いた手で包み込み顔に寄せる。
まるで、愛しい女を抱きしめるかのように。
何故もっと早く、会えなかったのだろう。
声を押し殺しながら涙し頽れる。
世間は春の陽気に色めいていても、彼にとっての今年のそれは、ただただ苦しいだけ。
叶わなかった約束。
にこりと笑って逝った愛しい人の顔が、今も目蓋に焼きついて離れない。
「春乃…なあ、花…綺麗やなぁ…」
サラサラと、緑の葉が芽生え始めた大樹を見つめながら、男は愛した女の名を噛み締めるように言って、その場にうずくまり、ただ静かに涙を流した。
最初のコメントを投稿しよう!