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「それがなにか?」國枝が得意げに言った。
言われた柊は煙草に火をつけると、バルコニーの引き戸を開けて換気をする。
特に非喫煙者の國枝に気を使った訳ではない。夜風が気持ち良かった。
「これから話すのは“僕の見解”だ」そう言って國枝に振り返る。「珈琲が何故苦いのか。その“本質”は別のところにあるんじゃないかな?」
「別のところ?」國枝が雄武返しする。
「そう。さっき國枝くんは、“苦味”について話してくれたけれど、“苦い”のとは違う。君の言う“苦味”なら緩和すればいい」柊はちらりと國枝のカップを見た。「砂糖を入れるなりして」
國枝にはまだ、柊の話は見えない。
「でも、人類はそうしなかった。珈琲を“苦いままにした”んだ」柊は一度区切ってから続ける。「苦味成分があるのなら、取り除けばいいのにそうしなかった。そもそも、苦いなら飲まなければ良かったのに、そうしなかった。何故だろう?」
「それは、最初は“薬”でしたから。苦くても飲んだんでしょう」國枝が言った。「“良薬口に苦し”ですよ」
「その通り」柊は言った。「いい薬は苦いんだよ」
「何が言いたいのか、さっぱりです」國枝が首を振る。
「僕が思うに、先人達が珈琲に乗せた想いはこうだ」柊はカップを掲げて言う。「“人生とは苦いものだ”」
國枝は思わず、カップの中の黒い液体を見た。
柊は珈琲を一口飲んで息をついた。
「僕はそれが“教訓”だと思ってる。押し付ける気はないけれど、“甘く”するのは簡単だからね」
柊は飲み終えたカップを置くと、胸一杯に紫煙を吸い込む。
(そうだ。人生は甘くない)
柊は明日にでも長岡に電話してみようと考えた。
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