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ガタンッ、ガタンッ…
朝の満員電車。
吊革を掴む男が、眉間にシワを寄せながら何かを呟いてる。
顔の赤ら加減を見る限り、二日酔いなのであろうか、半分、眠ったような薄く開いた魚の死んだような目をしながら、必死に揺れる車内に耐えているようであった。男はふと、スーツの内ポケに手を入れ、何やらつかみ出そうとしている。
『あれ?』
男は人目も憚らず、大きな声で驚きを現した。いつも内ポケに入れている名刺入れが無かった。
慌てた様子の男を尻目に、電車はその体を揺らしながら、地下道をすり抜け渋谷駅へと到着した。朝の混雑時間帯。降りる人に揉まれながら、男はその波にうまく、歩調を合わせながら、名刺入れの行方を頭の中で、探っていた。頭の中で色々なシーンが入り乱れ、交錯する。前を歩く長髪の女性がちょうど、映画のスクリーンになるかの様に、男は不可思議な顔を時折、歪ませながら、考え耽っている。昨日の商談を後にした所から男の思考が急加速する。
-昨日-午後3時。
会社で営業を担当している彼は大事な商談を終え、会社に戻り、自らの少し乱雑な席に着き、午前中片付ける事が出来なかった書類に目を通していた。普段、少し感情が欠けていると思われる程の良く言えば、クールな彼ではあるのだが、とてつもなく大きな商談を成功させた達成感からか、心が踊っていた。
『大ちゃん、珍しく何か嬉しそうだね。』
彼の座る席の書類越しから髪を短く刈り七三に分けた髪型の顔が、そう話しかけた。彼の上司に当たる佐久間課長だ。少しほころんだ顔をしながら、様子を疑うように彼の脇へ来た佐久間は、手に持った売り上げ表をそっと差し出した。
大迫貴司。
表の左から三番目の彼の名を指差し、佐久間は緩む口元を開いた。
『決まったの???』
そんな佐久間の期待を尻目に少し小憎たらしい様な口調で大迫は、涼しげに視線を上げた。
『一応、スポット扱いですが、商品導入の約束を頂きました。Byの心配もあるようでしたので、定番での導入は商品の動きを見てからという事にしましたよ。
そろそろ、発注書が流れてくると思いますよ。』
まるで、計ったかのように、FAXが作動し始める。『大迫さん。注文書きましたよ。』弾む声で用紙を持って来てくれたのは、事務を努める斎藤裕子。長髪の女性だ。受け取った紙を目にした佐久間は、さらに口元を緩めた。『大ちゃん、やるなぁ。これは、今日はお祝いだな。』
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