愛しい光が消えるとき

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「何言ってんの先生!櫻ちゃんには引き留める権利もあるわよ!患者の身体的、精神的苦痛を回避するのも担当ナースの務め。患者様が第一。御主人一人の横暴を許しちゃダメ!」 ピシャリと打つように言って鼻を膨らませるユリさん。 自己満足も横暴も今は考えないとして、とにかく御主人さんと話がしたい。昨日、私から写真を受け取った彼は、一体何を思って私に笑顔を向けてくれたのだろう。 私に相談して欲しかったなどと、おこがましい事は言わない。けれど、せめて転院の手配をする前に一言教えて欲しかった。御主人の心の内を知りたかった。 それほど私は、担当ナースとして信頼されていなかったのだろうか。……そう思うと、辛くて涙が零れそうになる。 「ユリさんごめんね。申し送りしたら病棟に行ってくる」 「申し送りはカルテを見れば分かるから、後で良いよ。早くしないと師長が会議から戻って来ちゃう」 そう急かしてユリさんが私の背中を押す。味方をしてくれる先輩の言葉に甘える私は、伝えるべき要点だけ申し送ってナースステーションから抜け出した。 御主人が未だ病室に居てくれることを願い、全力疾走で階段を駆け上がる。 病室のあるフロアに着いた私が、上がった息を抑えながら廊下を進もうとしたその時、エレベーターを待つ男性を見て咄嗟に足を止める。 エレベーターの前で立ち止まり、階数表示を見上げているスーツ姿の男性。その横顔は間違いない、石川さんの御主人だ。 速度を落とす間もなく打ち続ける胸の鼓動。うっすらと額に浮かぶ汗を指で拭い、深呼吸をして彼に近づく。 「こんばんは。今からお帰りですか?」 意識して顔の緊張を解す。 すると不意に声を掛けられた彼は、目を大きく見開いて私を見た。 「……櫻井さんでしたか。はい、佐代子が眠ったので帰ります」 私だと知った彼は目を細め、口元には笑みを浮かせる。 今の彼にとって私はきっと避けたい存在のはず。それを承知でここまで来たのに……。 「そうですか、……」 何事もない様な平然とした彼を見て、一瞬のうちに気が削がれた私は言葉を失う。 「櫻井さんはどうしてこの階に?……ああ、もしかして。今日も佐代子を見舞ってくれるんですか?」 私の方へと体を向け直した彼は、驚いたことに広げた笑みを一層深くする。
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