愛しい光が消えるとき

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目に映るのは石川さんの顔。少しだけこちらに顔を傾け、虚ろな目をして私を見ている。 「あ……、すみません。起こしてしまいましたね」 慌てて笑顔を作った私はベッド柵を掴み、腰を屈めて彼女の顔を覗き込む。 「電話の音が聞こえて……目を開けたら櫻井さんがいて……、ここに居て、大丈夫なの?」 「え……」……電話の音? 「誰かが、あなたを呼んでいるでしょ?」 顔を近づけ、耳を澄まさなければ聞き取れない小さな声。息切れ切れに繋ぐその姿は、発声だけでも命を削ってしまう気がして不安になる。 「誰にも呼ばれていませんから、大丈夫ですよ」 ―――何時かもそうだった。あの日も彼女は「講義を受ける生徒が待っているから」と、見舞いに来た御主人を職場に戻そうとした。 あれから更に状態は悪化しているのに、未だ相手を気遣い、決して淋しいとは言わない。怖いとも言わない。 最期の時まで側にいて欲しいと、誰にも言わない。 「……石川さん、大丈夫ですよ。私は側にいます。だから、安心して眠って下さい」 振戦(しんせん)を見せる彼女の手を擦り、胸に涙を隠して満面の笑みを向ける。 「……ありがとう、……そうね……もう少しだけ……すこ…し…だけ……」 再び重い瞼を閉じ、うわ言の様に声を消していく彼女。 転院については御主人から彼女に伝えてある。けれど、今の彼女がそれを覚えているのかは分からない。 途中で手を離してしまう事がどんなに心苦しくても、彼女を失う事がどれだけ辛く悲しくても、私がしてあげられることは一つだけ。 「会いに来ます。明日も、明後日も」 ……あなたがここを去る日まで。 眠りに落ちた彼女の手を握り、堪えきれない涙が頬を伝った。 ―――その二日後、 彼女の急変を知らされたのは、転院を当日に控えた午前6時過ぎだった。
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