愛しい光が消えるとき

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病棟に向かう私は息を切らし、靴の音を響かせて階段を一気に駆け上がる。いつもより遠く感じるその距離。空を仰ぐように顔を上げると、天窓から差し込む朝日が眩しく映る。 既に心拍が30を切って…… 御主人と息子さんは到着しているのだろうか。 名取先生と連絡は付いているの?対応している医師は当直医?水瀬さんは……、今日は日勤だと言っていた。出勤時間までに未だ一時間ある。 病棟は今、朝の検温と採血で忙しい時間帯だ。確か、呼吸器管理が必要な患者も何人か居るはず。そんな中、石川さんの側に誰か付き添ってくれているだろうか。 脳内を駆け巡るのは、石川さんが置かれている状況への不安。病室でたった一人、誰にも見送られずに死を迎えるのは淋しすぎる。 御主人さん、息子さん、 どうか間に合って…… 神様、どうか石川さんを一人ぼっちで連れて行かないで下さい…… 思い浮かぶのは彼女の笑顔。「櫻井さん」と名を呼んでくれる、あの優しい声。 滲む涙で視界が揺れる。 あと少しだけ待って。もう一度だけ、私を彼女に会わせて下さい。 光が降り注ぐ天窓を見上げ、石川さんの手を掴もうとしている神様に強く願う。 階段を駆け上がり病棟の角に差し掛かった私は、歩く速度を落とし、乱れた息を整えて病室に近づく。 扉の前に立ち耳を澄ますけれど、室内から漏れだす音は聞こえない。 「……」 背筋にひんやりとした空気を感じる。不安と緊張で体を固める私は、控え目なノック音を響かせた。 乾いた喉に唾液を落としたその直後、音を消すようにゆっくりと扉が開く。 「先生……」 顔を覗かせたのは名取先生。 「良かった。間に合ったんですね。……石川さんは?」 「……うん。櫻井さんを待ってたよ。どうぞ、入って」 彼の表情に悲しみの色が見える。私を招き入れようと扉を広く開けた時、男性のすすり泣く声が耳に届いた。
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