愛しい光が消えるとき

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病室を出た私は、放心を残したまま外来へと向かう。 「櫻井さん!……櫻井さん!!」 背後から呼び止める声。ハッとして振り返ると、私を追いかけて来る名取先生の姿が見えた。 「どうしたんですか?」 「石川さんの出棺、二時間後くらいになりそうだけど。櫻井さんも付き添うでしょ?」 「え……私も良いんですか?」 「そりゃ良いでしょ。水瀬さんもその時間なら間に合うし。……ところで、それで外来へ戻って大丈夫?」 泣き腫らした顔の話をしているのだろう。確認はしていないが、おそらく目は真っ赤で、瞼も腫れぼったくなっているに違いない。 「……大丈夫です。ゴーグル着けて仕事しますので、患者さんにはバレません」 ……たぶん。 それに、あと一時間で日勤者と交代だ。ブサイク顔でも何とか切り抜けられる。 「ゴーグルね、なるほど。とにかく出棺の時は櫻井さんを呼ぶから」 つまり、最後まで石川さんを見送ることが出来る! 「行きます!ありがとうございます!」 「……ああ、それと。大きなお世話かも知れないけど、外来に戻るなら検査棟から行った方が良いんじゃない?」 ……ん?検査棟?何でそんな大回りを? 「あともう一つ。石川さんの担当が櫻井さんで良かった。色々と助けて貰ったし……、ありがとう。お疲れさまでした」 私を慰めているつもりなのだろうか。予想もしていなかったこの場での労いに、修復する時間も無かった涙腺が再び緩む。 「……わ、私もっ。名取先生だからワガママを言いたい放題言えました!ありがとうございました!」 零れ落ちそうになる涙を堪え、深々と会釈をしてその場から逃げる。小走りで向かうのは、彼に言われた通りの検査棟。 ……気を使ってくれちゃって。外科医のくせに優男(やさおとこ)過ぎんのよ。 ここは病棟や外来棟と違い、この時間帯は未だ患者の行き来が見られない場所。 泣いたらまた目が腫れてしまう。患者には可笑しな目で見られるかも知れないし、出勤して来たスタッフにも注目されてしまう。こんな顔で帰ったら、後輩達にも示しがつかないじゃん? 尻を叩き颯爽と歩きながらも、感情が追い付かずに涙がぽろぽろと流れ落ちる。 石川さん…… 失った悲しみが静寂の中で蘇る。看護師であっても、何度看取りを経験しても、心の中で切り離しきれない感情。 「……ウウッ……」 病室では漏らすことの出来なかった嗚咽が、今になって滑り落ちた。 指で何度も涙を拭い、気を抜くと声になりそうな悲しみを抑え、自分の足音だけが木霊する廊下を歩いた。
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