指紋の無い男

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日曜日の朝、寝床から出ずに、くわえ煙草で犬の躾本をぐうたらと読んでいた。カーテンの隙間から射す、光加減からみて今日は晴天に違いない。 遠くから徐々に戦闘機が近づくいてくるような掃除機の轟音が聞こえる。次のページを捲りたいが指が滑って上手く捲れない、なんだかこのあまり関係の無い音が焦らせようとし、関係を迫ってくるようだ。そしてまんまと俺は焦ってしまう。 妻が掃除機を引きずりながら廊下を攻撃し、ついに俺の寝室の扉を開けた。 「あんた昼間から電気着けて本読んで!エコロジーとか少しは考えなさいよ」 妻はカーテンを全開にした。ゲシュタポに見つかったユダヤ人の気分だ。 「ん、あぁ。すまないね。そうそう、地球は大事にしなくっちゃ。」 俺は本を閉じスタンドの電気を消した。妻はまだぶつくさ呟いてるが、俺はお構いなしに、起き上がって敷居を跨ぎ、冷たい板張りの廊下の感触を足裏に感じながら、だらだらと台所まで歩いて行った。 コーヒーを飲もうと棚からコーヒーカップを取り出そうとした。しかし手が滑って床に落としてしまい、パギシャと、大きく鈍い音をあげてウェッジウッドのコーヒーカップは割れてしまった。 血相を変えて妻が飛んできた。 「もう!またなの」 そうまただ。 我が家には、ノーブランドの食器はない。妻のこだわりだ。このコーヒーカップもきっと高いんだろうな、なんて考える。
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