指紋の無い男

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コーヒーを淹れてくれなんて、とても頼めない。仮に淹れてくれたとしてこの状況じゃ旨くはなさそうだ。 「迷惑かけてばかりですまない。」 俺はまた寝室に戻り、ソフトパックの煙草をポケットにねじ込み、黒いハーフコートを羽織りスウェットのまま表に出た。冬の寒さが、衣服の隙間を探し出し、差し込むように侵入してくる。天気は良いが少々風がある。行きつけの喫茶店まで散歩がてら歩くことにした。 乾燥した季節の乾いた地面を見つめつつ、公園を通り過ぎようとしながら思案に耽る。 妻は専業主婦だ、プライドを持って病的に家事をこなす。昔から神経質だったが、種が悪いのか畑が悪いのか子供も無く結婚後八年が過ぎ、その家事に向ける執着は最早芸術の域に達していた。 このコンクリートみたいな色のスウェットも、俺が仕事に行っている間に毎日毛玉を取り、柔軟剤を入れて洗濯しているようだ。お陰で新品同様だ。そればかりか、なんだか育ちの良い坊ちゃんみたいな匂いさえする。   俺が高級なウェッジウッドのコーヒーカップを割り、妻のキャンバスを犯すなんて、あってはいけないことだった。俺は家事を全くやらない。だから妻が偏執狂的にそう思う事に口を出す権利などないのだ。誰しもが口出しされたくないものがあるはずだ。妻にとって家事とはそういうものなのだ。   ふと視線を上げると、犬と遊ぶ女性が目に入った。
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