指紋の無い男

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緑のくすんだ軍コートを着た、黒縁眼鏡の女性は、何やら巻取り式の伸縮するリードを引っ張ったり伸ばしたりと駆使して、笑顔で犬を走らせている。 白地に茶色の塗料を部分的にひっ掛けたような柄で、家庭用掃除機くらいの大きさの雑種犬だ。 女性の周りをハフハフ言いながら、さも楽しそうに駆け回っている。 俺は足を止め見入ってしまう。 我が家には、犬を飼うのに十分な広さの庭がある。俺は元来の気の弱さゆえに、上司の難題に首を縦にしか振れない性分が功を奏して、気が付けば同期の奴等を置き去りにし出世をしていた。そりゃ人の何倍も嫌々仕事をこなしてりゃ、否が応でも効率的になり、無駄を排除し仕事は速くなる。なので犬を飼育するのには余りある収入もある。 しかし、犬はいない。俺は犬が一年程前からどうしても欲しくて仕方がない。妻は犬を極端に嫌がる。子供の頃に咬まれたらしくトラウマがあるのだ。
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