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久美の涙を見た太助は、柄にもなく狼狽える。
なんせ出会ってこの方、彼女の涙など一度も見たことがなかったからだ。
「…な、泣くな…っ」
「泣いてない…!誰が泣いてるっていうんだ!」
「いや、どーみてもお前…」
「そこは気づかない振りをしろ!だからお前は甲斐性なしなんだ!」
「甲斐性なっ…!?」
さっきまでのしんみりした雰囲気はいったい何処へ。彼らは至近距離で喧嘩を始めた。
「お前…っ最後まで可愛げのない女だな!いい加減その性格直さないと、本当に嫁の貰い手がないぞ!?」
「だったらお前が貰え!!」
「……………は?」
今、とんでもない台詞を聞いたような…
(い、いや…何かの聞き間違いだろ…)
そんな、まさか。
彼女の一言がグルグルと頭の中を駆け巡る。
動揺して何も反応出来ずにいると、久美にガッと胸ぐらを掴まれ、もう一度怒鳴られた。
「いいか!絶対に生きて帰って来て、この私を嫁に貰え!お前が先に死んだら、私は一生独り身だぞ!」
他に嫁の貰い手がいないらしいからな!
そう言い切った彼女は顔は清々しく、これじゃどちらが男か分からなくなった。
「は…はは、参った…」
結婚を申し込むどころか、逆に申し込まれてしまった。いや、この場合は申し込むように仕向けられたといった方が正しいだろう。
(涙涙の別れになると思えば…)
彼女は最後まで、自分の意表を突いてくる。
それも嬉しい方向で。
「分かった分かった。帰ったらお前を嫁に貰ってやる」
「なんだか、やれやれと言った風だな…」
「お前が一生独身じゃ可哀想だからな」
「同情か!」
「まさか」
「だったらもっと…!」
「好きだ」
え?と久美の動きが止まる。
「好きだ」
「あ…」
「好きだ」
「ちょっ…」
「好きだ」
「わ、分かった!もう分かったから!その口を閉じろ!」
閉じろと言っておきながら、久美は自分から、両手を使って太助の口を塞いだ。
その顔は、耳まで赤く染まっている。
「もういいのか?」
彼女の手を口から外した太助が、そう可笑しげに尋ねる。
「っ…相変わらずの性格の悪さだな!」
顔を真っ赤にして怒鳴りながらも、久美の表情は嬉しそうだった。
「絶対に生きて帰って来いよ」
「ああ」
最後に二人は、己の額と額を合わせ誓いにも似た約束をすると、顔を離す間際にそっと唇を触れ合った。
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