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「オレンジジュースを一つ」
やっぱり、と僕は思ったが、
「かしこまりました」
と快く返事をした。
彼女は一月程前から僕が働くこの喫茶店に来始めて、今ではすっかり常連さんになっている。
でも、名前は知らない。
会話をしたこともない。
突然の夕立を僕がぼんやり眺めていたある日、少し雫を帯びた髪を振り乱して彼女は店に入ってきた。
雨の中を駆けてきたせいか少し上気した頬と、潤んだ大きな瞳から、僕はしばらく目を離すことが出来なかった。
その時、もう一度逢いたいと強く念じたおかげかはわからないが、以来毎日ここを訪れては、必ずオレンジジュースだけを注文している。
年の頃は二十歳前後だろうか。
流れるような黒髪、整った目鼻立ち、スリムな体型と、服装は大体ジャストサイズのスーツスタイル。
洗練された都会のOLという雰囲気だが、僕は知っていた。
彼女はケータイで話をしている時、幼い少女のような笑顔を見せる。
多分電話の相手は彼女にとってかけがえのない人なのだろう。
それでも僕は仕事の合間を見付けては、度々彼女の姿を目で追っていた。
本を読んで時間を潰していることが殆どだが、たまにケータイで誰かと話しもしている。
そして結構長い時間をこの喫茶店で過ごしていく。
彼女が何処に住んでいるのか、どんな仕事をしているのかは全然知らないが、僕は彼女の事が気になっていた。
数日後。
いつものように店を訪れた彼女に僕は、
「ご注文は?」
と訊いた。
当然オレンジジュースだろうと思っていた。
「そうね。・・・コーラ一つ」
なのに彼女から返ってきた言葉は僕の予想だにしないものだった。
思わず訊き返しそうになるのを必死に堪え、
「・・・かしこまりました」
とかろうじて答えた。
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