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一段目。
リングへ到る昇降段の一つ目を踏みしめた時だった。
「クロンさーん」
ふりかえる。
ハールムゥトだ。陽が差す中に立ってる姿はわりと近くにあったわけで、何かしら声をかけるために寄ってきてくれたのだろう。
昇降段の手前まで歩いてくると、彼女は屈託ない笑顔を浮かべる。
そして、スッと手を差し出してきた。
「手、貸してください」
「……? こうか?」
ご要望に応えて俺は右手をハルの前に出す。
「どーも」
と、俺の手を受け取った。
すると、次にまた彼女の表情がニッコニコから変化する。まるで今から新作の悪戯でも発表するかのような、ちょっとハルらしくない笑顔だ。
「クロンさん、なんだか緊張してるみたいですから」
まあ、そうなんだろうな。
三連勝中だし、一敗につき三十分のロスだし、魔女が怒るかもしれないし、俺だけ負けたら格好悪いしよ。なんだかんだで重苦しいっつうか。ハールムゥトの指摘は正しいものだと自分でも思う。
で、俺の右手を捕獲したハルが一体何をするつもりなのか待っていると、
「目を閉じてもらえますか」
注文が多いんですね。
思いつつもハルの注文を俺が拒否するわけもなく視界を閉ざした。
でも、やっぱ気になるので、さすがに聞く。
「何すんの?」
「気持ちいいことです」
「…………」
物言いが物言いなだけに寸秒間だけ妙な気分を抱いてしまったことは否めないが、ハルの人格と、今は公衆の面前という二大要素があったため俺の偏った想像は泡沫に消える。ただ、キモチイイことと聞けば老若男女分け隔てなく期待はしちゃうだろう。
なので、ドキドキしながらハルが言う快楽の到来を待ってみた。
んで。
「えい」
手の甲に、――激痛。
「いだたたたたたァッ!?」
目をつむっていてもわかる明らかに手の甲を抓られてるよね!
これが気持ちいいってこの娘、実はマゾヒストだったか!? って俺は首を大いに仰け反らせた。痛いの痛くないのって。しかも相手はハルだから俺が反射的に手を振りほどこうとしてもビクともしねーし、軽く涙目になったところで、激痛はフッと消える。
瞳を開けないでいた俺も律儀だな。
とにかく今は潤んだ目を開けて、口も開いた。
「なにするわけだっ!?」
怒ってると言われても自己弁護できない俺の表情加減と声に、しかし対面では無邪気な笑い顔。
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