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三人は直ぐ様、姫路城を脱出し、一路安芸へ急いだ。
三日三晩走り続け三人は安芸の広島城へ。
光政を輝政に引き渡し…
全ての出来事を事細かに幸村に報告した。
この一ヶ月で豊臣軍は、毛利輝元を大将に…
因幡、伯耆、美作、の三ヶ国を手中に収め中国地方をほぼ掌握していた。
元々、毛利の領地だっただけに、領民も抵抗する事は無く…
大将が毛利輝元と聞くと旧臣が続々と集い、その力を借り輝元は中国地方を制圧した。
まぁ話を戻すとしよう。
幸村は詳細を秀頼と輝政に報告した。
輝政は光政を抱き締めその場で泣き崩れた。
それはまるで獣の慟哭の様だった。
輝政は光政が元服するまで、と言う事を条件に秀頼に臣従した。
明朝、秀頼は全軍を集めるように指令を出した。
そして三日後…
秀頼は全軍を集めこう言った。
『我が豊臣軍に加わった、池田輝政、光政の家族が皆殺しに遭った!徳川方の残虐な振る舞いを、これ以上放って置く分けには行かぬ!全軍を動員し備後、備中、備前の諸城を落とし!播磨姫路城で徳川方と決戦じゃ!先陣は池田輝政!御主に任せようぞ!存分に暴れ、家族の仇をとるがよい!』
『おぉう!』
全軍の士気は最高に鼓舞された。
池田輝政を先頭に、その補佐に真田幸村、真田大助、鍋島勝茂。
そして豊臣秀頼と立花宗茂、島左近、後藤又兵衛の中軍。
殿軍に黒田長政、島津家久、可児才蔵とそうそうたる陣容で豊臣軍は進軍した。
その数なんと!
11万!
その大軍に恐れを為した城主は次々に降伏し、秀頼は城主を許し、恩賞を贈り、そのまま城を任せた。
おそらく気前の良さは太閤譲りだろう。
最早、西日本では秀頼の人気と名声は群を抜き、民衆は秀頼を褒め、そして讃えた。
結果、豊臣軍は一滴の血を流す事も無く…
十日後に播磨姫路城を包囲した。
秀頼は姫路城を包囲し、軍儀を開いた。
『如何に姫路城を落とすかだが…誰かよき打開策はないか?』
と秀頼が諸将に問いかけた。
すると老将、池田輝政が口を開いた。
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