(あるいは序章と呼ぶべき時間について)

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ざり。 砂利が立てる小気味良い音と共に、民家に男が歩いていく。 その出で立ちは、居る場所、つまり一般的な民家に比べれば異様だった。 無造作な黒の短髪に、メタルフレームの眼鏡。痩躯が纏うのは、髪の色と同じ、漆黒のロングコート。古びたトランクを片手に提げた彼は、真っ直ぐに玄関に辿り着いた。 呼び鈴に指をかけた、その直後に戸が開く。 そこに居たのは、一人の女性だった。長く伸びた、というより伸びてしまった、という印象の髪を後ろでくくった、少し窶れたその女性は、男と目が合うと、ぺこりと会釈をした。 男はそれに対して軽く頷くと、口を開く。 「滝井千恵さんですね?ご協力に感謝します」 その声は、優しく、 「これより当該地域は対“存在”用掃討区域となります。速やかに待機している係員の指示に従って避難所まで移動して下さい」 それでいて、剛く。 脇に退いて、門を指し、 「さ、早く」 背中を押すように、動きを促す。門までは、数歩分の距離しかない。たたらを踏むように前に足を出した彼女は、思わず振り向いていた。 彼女とて知っている。自分たちの世界とは違う世界から訪れた危険過ぎる来訪者のことは。彼らとの戦いが、死と隣り合わせなどという生易しいものではなく、限り無く死に傾いた天秤の上で命を懸けて行うものだということは。それなのに、戦いを前にしたこの男は。 笑っていた。 自棄になったものでも、虚勢でもなく。安心しろと、そう語りかける男の笑顔。それは。 同時に発生した“存在”たちに対して対応に追われた政府特別執行室の苦肉の策として派遣された‘足止め’役の浮かべる笑顔では、決してなかった。 よろけた彼女を、係の青年が受け止めた。停めてあった車へと連れていかれる動きの中で、彼女は思わず呟いていた。 「お願いします」と。 常人には聞き取れないはずの声量を、彼は確かに聞き取り、しっかりと頷く。そして、戦いの準備をすべく踵を返した。
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