プロローグ

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なぜ人類とは知識の探求に尽力するのだろうか? 新しい科学技術の発見、向上こそが人類の生活をより豊かにするものだと信じているからこそ知識の探求に身を惜しまず実験、研究を繰り返すというのか? 果たして新たな科学技術が本当に人類にとって有意義のものなのか?私はそんな疑問を拭いされない。 科学技術革命により著しい科学の発展を遂げた近未来では様々な分野でその影響により進歩を遂げた。 例えば、車を例にとってみよう。車はまだ空こそ飛んでいないが目まぐるしい発展を遂げた。過去の車には燃料にガソリンやらバイオ燃料などが使われていたが今の車にはそのような物は必要ない。 これはドレイン装置といい熱、光、電気を蓄めておくことができる小型装置でこの装置を原動力に今の車はエンジンを動かしていて、さらにこの装置はとても環境に優しくクリーンエネルギーとして我々人類に使用されている。 このように、現代では多種多様なエネルギーを効率よく蓄え、使用できる実に便利な社会だ。 しかし、科学技術の発展とは時に弊害ももたらす。 確かにドレイン装置をとっても膨大なエネルギーを蓄積し、蓄えたエネルギーを効率よく、有効活用できるといった面では生活にとても役立つ物だ。だがしかし、膨大なエネルギーを蓄えられるという装置はどれほど危険な物かという事を考えて欲しい。 例えば、ドレイン装置を兵器に応用したとしよう。 これを手に入れたテロリストが国家、国民に与える多大な恐怖。これは計り知れないものだ。 これら2つの例のように知識の探求による科学技術の発展、向上には光と影のように便利さとは裏腹に危険性がある事を忘れてはいけなかったのだ… この光と影の法則に例外はなくノアプロジェクトも当てはまってしまうのだから…
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