63人が本棚に入れています
本棚に追加
そんな忠告にも優はただ悪戯っぽく笑うだけだった。
それに返答することもなく、優は日誌を持って出口へと向かう。
「さてと、これを滝沢先生に届けに行かないと」
「俺が持って行こうか?」
「駄目よ。自分の事くらい自分でやれるわ」
「……立派な事で」
呆れて溜め息をつく小谷を教室へと残し、優は教室を出て行こうとして、また振り返った。
「一つ忠告ですが、生徒の前で『俺』なんて言わない方が良いですよ。では、さようなら。小谷先生」
それだけ言うと、忠告返しに面食らって何も言えない小谷が回復する前にと、優は颯爽と去って行った。
「まったく…」
一人残された小谷は、静まり返った教室で一人、ただ黙って突っ立った後に苦笑をもらす。
そしてその後に苦々しく舌打ちを響かせた。
「滝沢、か……」
低いその呟きに、小谷は三週間前の記憶を乗せていた。
まだ二十歳という若さの、幼い新米教師に初めて会った時の事を。
彼は小谷の顔を見るなり、今まで浮かべていた柔らかい笑みを消し、ハッと目を見張った。
その瞳には恐怖や怯え、そして深い憎悪が確かに含まれていた。
それはまるで、憎い憎い仇にでも遇ってしまったかのように戸惑い、そして憎悪の炎を燃え上がらせた目で小谷を茫然と見つめていたのである。
しかしそれも一瞬の事で、彼はそれを巧みに隠してしまった。
何もなかったかのように振る舞うが、それでも打ち合わせ中はずっと小谷を窺っていた。
おかげで、何と打ち合わせのやり辛かった事か。
そこまで思い出すと、次にふと、"あの日"の事までにも思考が移った。
それは十三年前の、大分古い記憶だ。
古いが、鮮明に染み付いて離れない記憶でもある。
あの時のあの子もあんな目をして小谷を睨んでいた。
深い深い悲しみと憎しみの混じった目で、じっとこちらを睨み付ける少年。
そこまで思い出して、小谷は苦笑した。
暗鬱に、楽し気に。
「案外、世界は狭いものなのかもしれないな」
そう呟くと、ゆっくりと教室を後にした。
もうすでに翳り始めた陽光が、誰もいなくなった教室を淡く照らしていた。
最初のコメントを投稿しよう!