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2週間ばかりして漸く学校生活に馴染んできた優は、放課後、日直のために誰もいなくなった教室で日誌を書いていた。
鉛筆と紙が擦れる音が微かに、だがはっきりと静まった教室に響く。
春の暖かい風が開いた窓から音もなく入り込む。
最後まで書き終えると静かに日誌を閉じる。
立ち上がって窓を閉めている時、教室のドアが乾いた音を立てて開いた。
そちらに目を遣ると、A組の副担任の小谷が一人立っていた。
「……あ……」
どちらともなく声が上がる。
どちらともなんとなく気まずくて、少々不自然な沈黙が降りた。
「……日直か?」
先に声を挙げたのは、小谷だった。
優のすぐ側の机の上に置かれている日誌をチラリと見遣った後の言葉だった。
先程の緊張感から肩透かしを受けた優は、思わず苦笑をもらした。
「はい。もうすぐ終わるので、滝沢先生に日誌を持って行こうかと思って」
「そうか…」
小谷は生返事をして、それ以外に何か言いたそうにしていたが、また沈黙がおりる。
少し考えるような仕草を見せ、それから至極真面目に口を開いた。
「学校には慣れたか?」
先生が生徒を気遣うというよりはむしろ、父親が娘を心配するような口調に、優は我慢出来なくなって笑ってしまった。
その反応に小谷は心外だと言わんばかりに目を丸くし、その後にムッと顔をしかめてしまう。
何か言おうとして失敗し、口をモゴモゴさせて結局は黙り込んでしまった。
「あー…、久々にこんなに笑ったわ」
腹を抱えて笑っていた優は漸く笑いを引っ込め、目尻から涙を指の腹ですくった。
「ごめんなさい、まさかそう聞いてくるとは思わなくって」
「……で?」
「うん、まあまあ。でも、入学式から気になっている人がいるから、楽しいかも」
気になっている人。
小谷はちゃんとそれを優の受け止めている正しい意味で解釈したようだった。
つまり、好きな人など乙女チックな『気になる』ではなく、ゲームや玩具みたいな物として『気になる』存在ということである。
どうやって本質へ入り込めるか、楽しんで探りを入れていく対象。
「……滝沢先生か」
「あら、どうして分かったの?やっぱり叔父さんには敵わないなぁ」
言い当てられて特に焦ることなく、冗談半分に笑う。
それを見て小谷は小さく溜め息をついた。
「……ほどほどにしとけよ。それと、『小谷先生』だ。下手に口を滑らせないでくれよ」
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