走る!①

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 長い昼が終わろうとしていた。点けっぱなしのテレビは、どこかに上陸する台風や、労使交渉が決裂した航空会社のニュースを無意味に流していた。  梅雨が明けてからは全く別世界になってしまった屋外は、日中に無防備で出掛けるのは正気の沙汰じゃなくなり、俺の自堕落な学生生活に拍車をかけていた。試験も終わり、バイトも無い。ただ自室で漫然と生きているだけの毎日を過ごしている。  だがさすがに涼しくなり始めた今のうちに食事の準備をしないと、空の冷蔵庫と心中してしまうだろう。  俺はベッドから出てスーパーへ出掛けようと、ジーンズに手をのばした。  半額シールの付いた惣菜を山ほど買って帰宅すると、部屋の電話機の留守電ランプが点滅している。自堕落な学生同志が集まって自堕落な事をする誘いでも入っているのだろう。俺は買ってきたパンをくわえると電話機の再生ボタンを押し、着替えを始めた。  『お母さんが倒れた!今、病院のICUに入ったんだけど、心筋梗塞で危ないらしい。コレ聞いたら、すぐに○○おばさんに電話して!』  予想もしない、姉からの緊迫したメッセージだった。パンの味なんてもう解りゃしない。 すぐに○○おばさんに電話すると、どうやらこういう事らしい。  姉家族が独り暮らしのお袋の家に帰省し、皆で街に買い物に出掛けた先でお袋は倒れた。救急車で運ばれ、病院で緊急手術を施してICUに入ったが、医者から今晩がヤマと言われた。今、親戚が病院に集まってきてる、と。  俺は生返事をしながら受話器を置いた。  我家は早くに父親を亡くし、教員をしていたお袋が姉と俺を大学にまで行かせてくれた。自堕落な生活をしていられるのもお袋のお陰だ。日頃は飄々としているが心の中ではいつも頭を下げ、何もできない自分を歯痒く思い、何かがあれば我が身を省みずに動くんだ、という決意を持つ事で辛うじて俺の心のバランスをとっていた程だった。  今すぐ行かねばなるまい。俺は着替えと洗面道具をDバッグに詰めると、本棚から時刻表を取り出した。  ここは岡山。病院は帯広。この時間から新幹線では大阪までしか行けない。飛行機はどの空港からも明日の朝からしか北海道行きは無い。
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