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1994年のサンマリノGPは、本当に悪夢のようなGPだった。日本ではアイルトン・セナのことばかり取り上げられている。でも、もう一人 思い出して。…ローランド・ラッツェンバーガーのことを…。
1985年にFF1600でオーストリア、ドイツ、ヨーロッパ選手権で優勝。これをバネにイギリスへ渡る。1986年にブランズ・ハッチFF1600フェスティバルで優勝。翌1987年にイギリスF3に参戦し、ランキング12位。その他色々です。
1990~91年、日本ツーリングカー選手権で2年連続総合ランキング7位、日本スポーツカー選手権で90年富士で優勝、91年鈴鹿で優勝して、総合ランキング9位と15位。1992年、日本F3000で総合ランキング7位、鈴鹿で優勝。またルマン24時間で9位に入った。その他色々です。これらの実績を持って1994年よりシムテックチームのセカンドドライバーとしてGPデビュー。初戦ブラジルGPはおしくも予選落ちとなった。第2戦パシフィックGPは予選を突破できた。決勝は26位スタートで11位完走。第3戦サンマリノGPで土曜日予選中に事故死。ビルヌーブコーナーでクラッシュ。フロントウイングがとんでしまった。ダウンフォースを失い、減速できず300Km/h近い速度で激突。ほぼ即死状態だった。
その翌日にタンブレロコーナーでアイルトン・セナも事故死。この瞬間にローランドの死がセナの栄光の影に隠れてしまった。アイルトン・セナは記憶・記録に残るGPドライバーとして、人々の心に刻み込まれているだろう。しかしローランド・ラッツェンバーガーはどうだろうか。もう一度1994年のサンマリノGPを思いだして。ローランドのことも。
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