人が人を食う

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昔の暮らしの中で、飢饉は言い尽くせないほど、惨たらしいものだった。 天明の飢饉の中では、特に東北地方で顔も背けたくなるような酷い話が残っている。 天明二年。この年は三月頃から雨が降り出し、七月頃まで降り続いた。 その為にせっかく出来た稲も雨のせいで腐り、或いは洪水により流された。 その前の年も、更にその前の前の年も雨のせいで、農作物が腐り、流され、田畑も傷みきっていた。 凶作はその頃から始まっていたのかもしれない。 冬になると急に暖かくなり、菜の花が咲き乱れ、竹の子が出来て人々を驚かせた。 が、それもつかの間で、年を越すとにわかに寒くなり、その寒さは夏になっても続いた。 七月。 太陽がカンカンに照り、地獄のような暑さが続いた。 人々は何かが起こるのではと予感し、それに畏怖した。 人々の予感は当たった。 八月。 地が割れるような大音響と共に、浅間山が大噴火した。 溶岩が村を押し流し、死者の数は数え切れないほど出た。 火山灰の為に、利根川の流れが、変わったともいわれる大噴火だった。
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