始まりの風は紅かったり違ったり

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  神凪重悟は五年前に一度だけ、本物の恐怖というものを痛感した。 それは他ならぬ現在の親友ともいうべき人間によって与えられた感情であったが、それも今ではいい思い出だと思っていた。 そう、それは過去形として重悟の思いを打ち砕いた。 学園二位と三位。 外の戦力に換算すれば、軍二個中隊は楽に倒せるほどの戦力をもってしても、目の前にいる敵はつまらなそうにこちらを見るだけだった。 事実、敵は傷一つ見えないが、こちらはもうズタボロといえるほどの傷が刻まれていた。 「あなた達は、つまらないわ。自分を、縛り、戒め、そうした、人生に、意味を、見つけようと、もがいて。無様、というのは、このこと、かしら」 手にした鉄扇を閉じて、女は物憂げにため息を吐く。 女はまるで平安時代から来たような、そんな格好をしていた。 長い髪は膝近くまであり、重悟の記憶が正しければ着ているのは小袿である。 「さて、これが学園、二位と三位の、力かしら?弱いのね。脆いのね」 クスクスと、口元を閉じた鉄扇で隠して女は笑った。 「一つ、聞き忘れていたが」 折れかけていた膝を立て直し、肩で息をしながら武魅が口を開く。 「お前が敏次に、力をやったのか?」 「いいえ、違うわ」 女は首を振り、ゆっくりと二人の方へ足を進めた。 「私は、ただの監視、役。あの娘はまだ、不完全だから」 ノーモーションで放たれた重悟の鎖は、女に到達する前にバラバラに切られて地に落ちた。 女はそれを気にした様子もない。 「あなた達も、不完全。もっと、正直であれば、いいのに」 と、女は不意に歩みを止めた。 宙を眺め、目を細める。 「人間は、本当に楽しい、わね」 呟いて、女は鉄扇を振るった。 ただの一振りでそれは女を中心に竜巻を起こし、その姿を隠す。 「もう、監視する、意味もない、わ。今度は、もう少し、楽しませて、ちょうだいね」 待て、と叫ぼうとして、しかし突風に押されて視界が奪われる。 もうそこに誰の姿もなく、まだ残ったわずかな風に木の葉が舞っているだけであった。 女がいない。 そう思った瞬間、自分の胸に安堵の感情があることに気付いて、二人は唇を噛んだ。 敗者に言い訳は許されない。 安堵を得てしまった自分に苛立ち、二人は結界を解いた。
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