始まりの風は紅かったり違ったり

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  いや、それは咆哮。 少なくとも人間の可聴域を超えたその声は、そのまま刃となって敏次を襲った。 「……くっ」 ズタズタに切り裂かれ、ただでさえダメージのあった身体は自重を支えきれずにガクリと膝を折った。 それは獣の姿だった。 霊力とも魔力とも神気とも似つかない力が昌浩を包み、あまつさえそれは一尾の形をしていた。 頭部には耳の形。 さながらそれは… 「狐…」 敏次が呟くと、呼応するように昌浩がまた咆えた。 そこでようやく敏次は身体を震わせたが、それはやはり恐怖ではなく、むしろ感動とでもいうべきか。 圧倒的な血筋。 自分が得たかったその力は、やはりこんなにも強大なものだったという感動。 そして高揚。 痛みはもはや関係なかった。 アドレナリンに続き、ありとあらゆる脳内麻薬が次々に生成され痛みを消し去る。 もう符はない。 あるのは瞬間移動と、今まで培ってきた陰陽術。 敏次が抜き出た術者でないことはすでに語った。 努力だけで二流まで這い上がってきた敏次だが、そこから先、言うなれば才能と努力の壁を越えることはできなかった。 それはもうどうにかなるものではない。 敏次はだからこそ昌浩に嫉妬の念を抱いたわけであるが、そもそもそれが間違い。 車と飛行機は比べられない。 それは大きさとか重量だとかそんなレベルの話ではなくて、土俵の違いにある。 野菜と果物、人と犬。 比べることが愚か。 人が比べていいのは、昨日の自分のみ。 人が比べるのは他者ではなく己。 「…さぁ、最後の宴(ラストワルツ)だ」 藤原敏次は特出した人間ではない。 特出していないことは、むしろマイナスではない。 例えば、柊千鶴は攻撃に特出しているが、防御は不得手とする。 例えば、神凪重悟は防御に特出しているが、攻撃は不得手とする。 例えば、安部昌浩は陰陽道の中でも風と水に特出しているが、火や金は不得手とする。 すべてはバランス。 特出するということは、逆に不得手があるということ。 前述の二人に関しても、そのレベルが違いすぎるのでそう見えないだけで、実はキチンとその法則に従っているのだ。 藤原敏次は特出していない。 .. 故に、藤原敏次に不得手はない。 それこそが敏次の特出した部分。 風を見に纏い、血液を右腕に集め、右腕の筋肉を最大まで硬直させ、圧縮した火炎を握り込み、踏みしめた地面から足りない気を吸収する。 昌浩の咆哮と共に敏次は全霊をかけて踏み出した。
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