“眼”を得た少年

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■■■12月10日■■■ 「い、ててて」 頭痛に苛まれて目を覚ました。昨日のことは良く覚えているが、思い出す気はない。 「えぇっと、ここは……自宅?」 周りに広がるのは紛れもなく自分の部屋。いつもの使い慣れた空間だ。 ズキッ 「……っ!!」 痛みが走る。視界が狂う。目の前の景色がグニャグニャになった気分だ。 「そういや、確か……」 「やっと目を覚ましたか」 ガラッと扉を開けて、ユキが入って、 「―――――は?」 な、何だこれは?確かに目の前にいるのはユキだ。だが、“脳”と“眼”がその意見を否定する。 確かに“ユキ”という存在が網膜に映り、自分自身もアレがユキだと認識している。が、それと同時に……より強い衝動が現われる。何も見えていないのに“そこに何かがある”と視認“出来て”しまう。 「え、は無いだろ?倒れてるお前を見つけてココまで運んでやったというのに……って、オリ?」 例えば、人を“言語”で認識する人間がいたとしよう。 その者は普段、何の生涯もなく人を区別できる。が、もし髪型を少しでも変えたならば、それは“違う人間”と認識されてしまう。 髪が伸びる、というのは自然の行為であり、日々気付くことすら許されない微弱な変化だから良い。だが“その行動をとった”という結論が出なければソレは“髪型が違う=別人”となる。 それはオカシイ事ではなく、純粋に“認識の過程”が違っているために起こる誤作動である。 今の状態もそうだ。目の前がユキでも“コチラの捉え方が違う”のだから、同じユキと認識できる訳がない。 今の僕にとって“ユキ”という存在は○○でしかない。 「オリ?どうしたの?……もしかして、私の美貌に惚れた、とか?」 辺りを見回す。何も異常はない。だが……飾ってあった花は違って、これも同じように“別の方法”で解釈されてしまっている。 やがて、それは“視認できる文字”になっていく。まるでレンズのピントを合わせるように、この目の照準が、カチリと合わさった。 「…………んだよ、これ」 「え?」 部屋の隅の花に歩み寄る。スッと文字に触れてみる。 「○○、○」 文字を読み上げる。その一瞬先で何かが迸る。 「ちょっ、オリ?って何、してるの?」 花は見る見るうちに枯れて散った。まるでそれが当たり前のように。 そして気が付けば、僕はユキを押し退けて部屋を出て、家の外へ走り出していた。
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