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 お前が去れば俺が悲しい。  祖父は大声を出して女をかき抱いた。女の身体に触れたのは、それが二度目であった。  女は祖父に縋って泣いた。泣いて泣いて、祖父を突き飛ばした。  驚く祖父の前、女は立ち上がった。  祖父の顔を真直ぐに見て。  笑った。  死ぬより辛い事は、あるものなのですね。  でも、生きていて良かった。  あなたに逢えた。  いつか。  もしも、雨に追われぬ時が来たら。  その時は、帰って来ます。  だから、生きて。  生きていて下さい。  もう、女は泣いていなかった。  ざあざあと降る雨の中、凛と美しく立って居た。  そのまま池へと歩み寄り、飛び込んで、消えた。  祖父は、あまりの事に動けなかった。突き飛ばされた形のままに、長く長く呆然としていた。  やがて雨は止み、引っ切り無しに揺れていた水面から波紋が消えて、滑らかに月が映った。  それを眺めていると、急に少しだけ月が揺れた。  戻ったか。  祖父は急ぎ池に入った。水を掻き分け進んだ。  女は、戻って来なかった。  ただ、途中で外れたか。それとも自ら外したか。  珊瑚の付いた飾りだけが、ぷかりと浮くのみであった。  祖父はそれを握り締め、何度も何度も、声が枯れるまで女を呼んだ。  呼んで、呼んで。  それでも、女は戻って来なかった。
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