3/10
前へ
/16ページ
次へ
 ふと目を開けると、真っ白だった。  はて、ここは地獄か天国か。どちらにしても彼岸であろう。  父は、母は。  薄絹がかかったようにふわりと霞む意識で、祖父はそんな事を考えたという。しかし、身体はぐたりと力を無くし、腕も重くて上がらない。ただ、あの母に抱かれているような心地好さは続いている。  どうしたものか。  その時である。  もし。  上から声が降ってきた。  声に意識を引かれ、祖父はひどくゆっくりと、まずは指先を動かした。どうにか動いたが、指先には柔らかいものがある。これは何か、と、重い頭を少しだけ、声の方へ向けた。  ああ。  天女だ。  そこにあった顔を見て、祖父はそう思った。真っ白な面に黒い濡れ髪が一筋。紅い唇。それが、もし、もしと何度も呟いた。  ぼんやり声を聞くうち、だんだん祖父は正気に返った。  服が肌に張り付いている。冷たい。冷たい筈が、顔は妙に温かい。指先に意識を向ける。  やはり柔らかい。  これは、皮膚か。  何処の。  ――脚、だ。  祖父の手は、艶々と張った太股を捕らえていた。すると、顔に当たる温かいものは。  うわあと声をあげ、祖父はバネの如く跳ね上がった。   顔に当たっていたのは、乳房であった。抱かれているような、ではなく、本当に抱かれていたのである。  祖父と同時に、祖父を抱いていた女も小さく悲鳴を漏らした。すっかり正気になった祖父とその女は、しばし互いに見詰めあった。  鈴虫だけが鳴いている。 「すみません」  急に女が謝った。祖父は婦人の乳房に顔を埋めた自分こそ謝るべきと思ったが、うまく言葉が出なかった。あわあわと鯉の様に口を開閉する祖父を尻目に、女は言葉を続ける。 「溺れていらっしゃったようなので、つい助けてしまったのですが、驚かせてしまったようで」  それで祖父は、入水した事を思い出した。辺りは見慣れた草むらで、池にはやはり月がある。試しに頬を抓って、生きていると確認した。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加