Primavera

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   チリエの木の周りには、人がいられるような場所はない。  見える限り、生き物はここにいる二人だけ。  ソールは言った。 「あなたの、後ろに」  ラウラはそっと、恐る恐る振り返る。  赤く、昼間でも淡い光を放っているかのように美しい木。  先ほどまでは誰もいなかった、その下に。 「あなたは……?」  人が一人、立っていた。  長い、ソールと同じ色の髪はゆったりとうねり。  エメラルドの瞳。  全てが完璧に位置付けられた美しさに、恐怖さえ感じる。  こんな女性は見たことがない。  ラウラの肌が、粟立った。 「……プリマ。遅くなって、すまなかったな」 「雪が深かったのだもの、見失っても仕方ないわ。来てくれたなら、それで」  プリマと呼ばれたその女性は、ラウラに歩み寄った。  ラウラは、全く動けなかった。 「風の名を持つ方。感謝します」  浮かべた笑顔は温かく、しかしぞっとする美しさ。  ラウラは、悟った。  プリマは、そしてソールも。  人間ではないということを。 「……ソール。仕事を始めましょうか」 「ああ」  プリマの言葉に頷いたソールは、ラウラに言った。 「見ていてください。誰も知り得なかった秘密を」  プリマは、銀の横笛を持っていた。  その唇に静かに当てて、吹き始める。  ラウラの耳に届いたもの。  それは、春の音色。  ソールは、笛に合わせて歌い出した。  ラウラにはその言葉はわからない。  わからないのに。  何と歌っているのか、わかるのだ。  それは、神の言葉だった。  
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