永倉①【道場破り】

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この江戸の街にある茶屋にて、ひとりお茶を啜る男がいた。 彼の名は永倉新八という。 (…次は試衛館っていうところか…) 江戸の有名な道場はほとんど渡り歩いた。 残るは、人伝(ひとづて)に聞いた試衛館という道場だけだ。 (…くそっ) 道場破りを続ける毎日。しかし、いつまでも強くなった気がしない。 満たされない欲望に、永倉の苛立ちは積もるばかりだった。 そんな時… 「だ、誰か助けてくれぇぇえ!!」 野太い男の悲鳴が外から聞こえてきた。他の客同様、永倉も目を瞠る。 (なんだ…?) だが、驚くのはまだ早かった。 「アハハ!この私から逃げようなんていい度胸ですねぇ!」 次いで聞こえてきた笑い声。 その声は明らかに女のものだった。しかも、かなり若いと分かる。 (女の方が男を追っているのか!?) 女というのは、家庭的で慎ましい人種かと思っていた永倉にとって、それは驚愕の事実だった。 (いったいどんな奴が…) そんな好奇心も生まれ、急いで会計を済ました永倉は外へと出た。 その瞬間、目の前を風が通り過ぎる。 それは先程の悲鳴の主であろう男と、見たいと思っていた女だった。 が、あまりに一瞬の出来事だった為、女の顔を確認する余裕までなかった。 永倉はただ呆然と、去っていく女の後ろ姿を見送った。 そして後ろ姿が見えなくなった今でも、なぜか彼女のことが頭から離れない。 顔も知らない女なのに、気になって仕方なかった。 また会えないだろうかと考えている自分がいる。 (…柄にもねぇな) 永倉はフッと自嘲気味に笑い、ようやく歩き出した。 向かうは試衛館道場…。 「私から逃げようなんて百年早いんですよ」 華乃は、今しがた捕まえた賞金首の男に、絶対零度の笑みを向けた。 男は観念したのか、大人しく縄に縛られている。 そんな中、華乃はふと先程のことを思い出した。 (さっき茶屋を出てきた男…) 顔こそ見ていないが、ぶつかりそうになって焦ったものだ。 ただそれだけのこと。 なのに、なぜか印象的な男として記憶に残った。 (また会えないかな…) 何となくそう思った自分が不思議で、華乃は困ったような笑みを浮かべた。 そんな彼女達の思いが通じたのか、二人は再び出会うことになる。 しかし、それはまた別のお話… 永倉①【完】
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